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スタッフ閑話:分類の落とし穴

よく「あなたは○○タイプ」と分類されるテストやチェック(占いとかも含む)を、Webでも雑誌などでも見かける。

今はもうほとんど見当たらないけど、昔は「A型は~O型は~」といった、血液型のタイプ分けなんてのも流行っていた。
上記のような遊びのようなものから、例えばコーチングなどで使われるサポーター型やコントローラー型、とか、心理学論に基づいて作られた交流分析のエゴグラムテストとかまで幅広い。
どんな形にせよ、このような分類が世の中にたくさんあるということは、人は分類してラベリングすることで、物事を考えやすくしたり理解したり、安心したり、さらには発達していくものらしい。

「私は○○なタイプだから、△△なんだな!じゃぁ、それを生かして□□しようかな」と、自分を分析してより良い方向に持っていくためだったり、自分を肯定するために使うことも多いと思うが、この分類を人に当てはめるときには、ちょっと注意が必要だな、と最近感じることが続いた。
相手の特性の「一つ」を理解し、自分との関係性に役立てるのなら問題はないのだけれど、それを「だからあの人は○○なんだ」「あの人は□□のタイプだから、きっとこうに違いない」と断定してしまうとおかしなことになる。

これは個人だけでなく、組織や国などの集団にも当てはまるようで、
例えば最近はやっている「ティール組織」という本では、いくつかの組織の段階(レッド組織やアンバー組織、オレンジ組織、ティール組織など)が書かれているのだけれど、その本を読みそれぞれの組織の特徴を見て「あ~、うちの組織は○○だもんね、だからダメなんだな」となると、ちょっと違う。(私は、かつて所属していた会社を思い浮かべて、あ~だからダメだよね、と思いめぐらせてしまった。。)

国などでもそうだけど、なんだか発展・発達した(と思いがちな)新しいものの方がよくて、そうではない段階はダメ、となると、いやいやそんなことないでしょう、と思う。
極端な例を上記のように挙げれば、「そんな風には考えることはないな」とも思うのだけど、普段はいつの間にかしっかりと分類をして枠にはめて考えてしまっている。

分類は、人や物を知る手掛かりにはなるけれど、それが全てではない。
そういう当たり前のことを改めてしっかりと心に置いておきたい。


スタッフヤマモト