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株式会社メタノイア ー 私たちは、自己変容・自己変革につながる根本的な認識の転換[メタノイア]のご支援を通じて、人と人、人と組織、人と社会、人と自然が、愛情あふれる調和の関係に至るためのお役に立ちたいと考えています。ダイアローグ(対話)やホールシステム・アプローチの考え方を中心に、人と組織の可能性を広げるお手伝いを行っています。

スタッフ閑話:「ダイアログ」とは何か、自分に問うてみる

先日より、イベントでダイアログの時間に参加することが度々あった。

「本と対話の会~Books&Dialog~」というイベントでは、それこそデヴィット・ボームの「ダイアローグ」という本を手に取って、「ダイアログって何なのさ」という問いをもって本と向き合った。

私にとって、「良い」ダイアログの時間と、そうでもないダイアログの時間がある。
私が思う「ダイアログ」とは、自分の中にスペースを持つということと同義のようだ。
 自分の中に、相手を受け止めるスペースを持つ。
 自分の中に、相手を見つける視点を持つ。

その中でも「良い」ダイアログだったと思う時は、そのスペースがとても広がったり深まったりする感覚なのだと思う。
自分の中のスペースに、今までなかった何かを持つことができた感じ。自分の中に相手を見つけ、相手の中に自分を見つけ、お互いの境界線が曖昧になる感じ。私の考え、あなたの考え、ではなく、あなたと私の考えが混ざって新しいものが生まれてくる感じ。私一人では到達しなかったどこかに、共に立つ感じ。
終わった後の心地よい疲れ。逆にそうでもないダイアログの時には、身体のどこかがこわばっていたりする。
たった一回の出会いでスペースが一気に深まることもあれば、何度か回数を重ねるうちに徐々にスペースが広がっていくこともある。同じ人と話していても、深まる日もあればそうでない日もある。

さらに、今回いくつかのダイアログの場に参加して強く思ったことは、「良い」ダイアログがあるのなら、そうでもないダイアログは「悪い」のかというと、そうではないということ。
そうでもないダイアログの先にしか、「良い」ダイアログはありえないのだと思う。

どうにもダイアログだけでなく全般において「良い」を目指そうとしてしまうが、「良い」以外のものごとこそがその先の「良い」を支えるものだと、そう肝に銘じて、来年は「良くない」ことに怯えない私でありたいと思う。

スタッフヤマモト

 

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